クリスマスイブの夜。ブロードウェイの「・・・劇場」のひさしの下にいる。
観劇後のVIPをホテルへ送るため待機しているのだ。
年も押し迫った頃、こんなところに好んで独りでいる人間はいない。
生活の糧を得るためと自身に言い聞かせ、寂寥の思いを殺し、己を無感覚に保ちつつ、
歩道を行くファミリーや通り過ぎるイエローキャブやらを眺めていた。

今朝この街に到着した時には10℃を超えていたが、寒波の到来により急激に気温は下がっている。
そして呪わんかな、雪は降り始めた。
歩道を歩く人々は大喜びではしゃぎ回っている。
絵に描いたような、陳腐なドラマにも出てきそうな完璧なホワイトクリスマスだ。
白い肌に眩しいほどの金髪をまとう姉妹は、テキサス辺りから来たのだろうか。
初めて雪を見たようで、はじめは恐れるように、恥らうように雪に触れていたが、そのうち積もり始めた雪を嬉々として集め、かたまりをつくり投げあっている。
「メリー・クリスマス」の声も高らかに、こちらに向かって投げられた雪を受け止め、苦笑いを返すしかできない独り身の、根無し草がここにはいた。
仕事を終えた後、独り街にでました。
MP3をヘッドセットで流しながら、雪に打たれるのもかまわず、2時間も3時間も彷徨いました。

聞いていると感じられました。
ニューヨークを故郷と感じられる生きかたって云うのはどういうものなのか。
都市に対する郷愁はそこで過ごした貧しい少年時代や、時に辛くもある日々の生活から生まれるのかもしれない。

「ニューヨーカー」という”人々を表す言葉”があります。
雑誌「ニューヨーカー」やWeb・The New Yorker(http://www.newyorker.com/)にみられるインテレクチャルでスノッブなものです。
しかし本当のニューヨークっ子と云うのは私の中ではかなり印象が違います。
ヤンキーススタジアムの観客席に陣取っている人々のイメージがあります。
移民として渡り、2代くらいをここで過ごし、日々生活の糧を得ている。
今眼前にある者達は今日と云う特別な日であっても、常と変らずせわしなくこの都市を行き交っている。
功なり財をなした者なら、今頃コネチカットの豪邸で一年ぶりに会う家族に囲まれ、暖炉の前で暖まっていることでしょう。

大ブレイク前の、哀愁に満ちた(←死語)感情を喚起させる情景をつづる、詩人としてのビリージョエルがここにはあります。

New York State Of Mind

収録アルバム「Turnstiles」