物であれ人であれ何かからの決別の折、辛い気持ちをなんとか受け流していくように努める時、私の内にいつも流れ出すメロディーがあります。
ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」です。

詩自体かなり重いものです。
冒頭では、「少しばかり、この憂愁が去らないなら、近くの塔にのぼり、身を投げてしまうこともできる。」なんていうフレーズもあり、
2番には「父が死に、母がこの世を去り、日々悲しみに明け暮れた」そんな描写もあります。
そんな内容をベタに、回顧や悲しみとともにあらわすと、”ポール・マッカートニ-プロデュース”メアリー・ホプキンス/ゾーズ・ワー・ザ・デイズのようなものになってしまいますが、しかしこの曲はまったく違います。

メジャー基調でフラット・フィフスを多用したそのコード進行は、少しばかりの憂愁を感じさせるものの、屈託のなさもみられます。
「また独りになってしまった。」と歌われた後、C♯7♭9を弾きおろされ、そして「当たり前のように」と軽い調子で歌われます。
苦しい現実を受け流し、歩んでいこうという希望が曲調にあらわされています。

悲劇をウィットを持って制してゆく。
何よりこの曲を作ったオサリバン自身(本名ではない。ギルバート&サリバンという前時代的なミュージシャンの名をもじったものです。)ウィットのかたまりのような人間です。
彼のミュージシャンとしてのスタンスからして、捻りのあるものなのです。

彼の声域がこの音帯に合致しているということかもしれませんが、キーは・・・驚愕および禁断のDフラです。
加えてテンション使いまくりです。
もとよりジャズやボサノバ調のメロディーが扱うべき詩の重さではありません。

Im my hour of need, I truly am indeed, Alone again, naturally.
人の孤独の本質を抽出したかのような一片です。曲中一番好きなフレーズです。

韻を踏む必要性から少々回りくどくなっていますが、コレは A friend in need is a friend indeed. (必要な時何かしてくれるのが本当の友だ。)を下敷きにしています。
この歌の中では「神がもし存在するなら、なぜ僕をおきざりにするのか?」というフレーズの後、語られる部分です。
人は本質的に”独り”であるかもしれない。
救いを得たいと思っているときには本当に救われることはない。
ある種、人間存在の命題をあらわしているかのようです。

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ヒットする歌にはそれなりの理由があるのですが、孤独をここまで見事にあらわした唄は稀有なものです。
(もう今後現われることはないという予感はあります。日・米を問わず、言語中枢に訴える詩的な歌は、失われてしまいました。)