母がまだ若いころ
僕の手を引いて
この坂を上るたび
いつもため息をついた。



坂の多い街で育った。
関東近郊の新興住宅地で幼少期を過ごした。

世の中を等しく”中流”という波が覆いはじめていた時期、
”所得倍増”などという威勢のいい合言葉が街を駆け抜けていた。
しかし市井の人々の生活レベルは今のものと比べようもないほど、質素なものだった。

欲しい物は無限にあるように思えた。
食べたくても叶わない、”憧れの食べ物”さえあった
日々新しいものが生まれる機運の中、
”限りないものそれが欲望”と歌う、長い髪に強いパーマをかけたむさい男がいた。
それは「欲望は抑えなければならない」という母の哲学と同じように真理であると思われた。
まさかそう云う欲望が枯れるほどの豊穣に満たされた社会に、今自分が生きることになるとは夢にも思わなかった。

貧しくとも、純粋な希望があった。
ヒーローはヒーローらしく、師は師らしく。
揺るぎない価値観があり、不可侵な存在をいたずらに貶めようとする邪悪な心は存在すらしなかった。
誰もが自身の仕事に誇りを持っていた。
(間違っても消防士が放火をするような、警察官が下着泥棒をするような、そんな病んだ心が引き起こす事件が、人々の哀れみの心と引き換えに許容されてしまう異常な時代ではなかった。)
そのころ母は少しでも生活の足しになるようにと、自宅の一画を割き、小さな裁縫店を営んでいた。
裁縫箱、指ぬき、チャコ、まち針、マネキン。
興味深いものはたくさんあったが、たびたび折檻に用いられる竹製の大きな”ものさし”は小さなならず者にとって非常な恐怖でもあった。

その恐怖の裏返しだろうか。
長じてからも何か癪に障ることがあると、そのものさしを折りにかかったり、
紙製のマネキンに殴りかかったりしたこともあった。
その後不器用に修復されたそれらのものを見た時の心の痛み、それは今でも鮮明に思い出すことができる。

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この洋裁店を見かけたとき、そんな記憶が立て続けによみがえってきました。
今、こういう店はどれほどの需要があるのでしょうか。
資本主義は高度化し、使い捨てということが当たり前になり、カジュアルな衣類は今ではほとんどかの国でつくられています。

同じ資本主義と云う制度で発展してきたとは思えぬほど、社会構造自体が変わってしまったようです。
そう云う世界に生きる人の心も昔と同じだとはいえないようです。