退職し田舎に隠遁し、過去・現在・未来を統合しようと書き綴るオヤジの独り言です。
ここには有益な情報は何もありません。かなり文が長いので←で立ち去った方が賢明です。
最近「ウォールデン・森の生活」を読み直しています。
これで何度目でしょうか。不思議なことに読み返すたびに新たな気づきを与えてくれる希有な作品です。
ヘンリーデイヴィッドソロー著「ウォールデン森の生活」
哲学・思想体系、古くはソクラテスの「無知の知」であり、ルソーの「自然に還れ」であり、パンセの「気晴らし」という思想があった。大昔にもたらされた思想であるがそれは”古い考え方”ではない。突き詰めると人の暮らしの根本は何ら変わってはいない。技術革新により人類の生活が早く便利になっただけでそれは少しの面倒と努力でカバー出来るものなのだ。驚くことは技術の発展により人間の思想も進化しなければならないのに、進むどころか退化しているとも言える。
人対人でいうと遠くの人とは近くなったかもしれないが、隣の人とはより疎遠になっている。
哲学思想は変わらない。賢人の思想は今でも新しい。

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ここには有益な情報は何もありません。かなり文が長いので←で立ち去った方が賢明です。
最近「ウォールデン・森の生活」を読み直しています。
これで何度目でしょうか。不思議なことに読み返すたびに新たな気づきを与えてくれる希有な作品です。
ヘンリーデイヴィッドソロー著「ウォールデン森の生活」
岩波文庫版です。青空文庫でダウンロードも出来ます。宝島文庫の新訳版も所有しているのですが、現代語・若者言葉に直そうとしてかなり酷いことになっています。”言葉は時代をあらわす”というたとえもあります。”古い奴の方が頼れる”の命題通り岩波版の方が原作を忠実に訳しているとおもいます。(かなり読みにくい訳ですが、、、)
・「ウォールデン 森の生活とは」
19世紀半ば、産業の急速な拡大が進むアメリカ。ソローはウォールデン池のほとりに小屋を建て、自給自足の生活を始める。2年2カ月にわたる森での暮らしの中で、彼は自然を観察し、自己について、そして人間と社会について書きつづった。物質社会に警鐘を鳴らし、シンプルに、自由に生きることを説いた必読の書。
・ヘンリーデイヴィッドソローとは
彼が2年2ヶ月を過ごしたウォールデン湖。その詳細についてはこのサイトが詳しいです。
自分の中にあるお上りさん的観光者の視点では、その場所を見てみたいと思うのですけど。
私が興味ある点は、当時この湖畔に独居するに至った意図にこそあります。
「多くの市民は、静かな絶望の生活を営んでいる。最高の芸術作品とはこういう状態から抜け出そうとする人間の苦闘を表現するものなのに、我々のまわりにあるものは、このひどい状況を快く感じさせ、より高い次元のことを忘れさせる作用を及ぼしている。」
若くして何千エーカーもの土地を受け継いだもの。彼・彼女はそれを維持するのに汲々としており、生きる喜びすべてを投げ出してそれに従事している。
古来からの役割を守るため現在の生活を犠牲にしてそれに励む者ども、多くのそういう輩を見たソローは重荷を背負って生きている人々がなんと多いことかと感じていたことでしょう。
現代はどうなのか?この広い地球に自身を入れる小さな構築物を得るために、生涯にわたり負債を払い続け、おまけに利息まで払い、利ざやで儲ける輩も養っているもの。月々法外な金を払い、別の人間(大家)を養うために働いているもの。マネーゲームや投資により一生かかっても使い切れないほどの財貨を獲得し、それを費やし虚栄心を満たすことを生きがいとしている者。日々の気晴らしに一時の慰めを得てそれが人生の喜びであると勘違いしている多くの人々。
・「ウォールデン 森の生活とは」
19世紀半ば、産業の急速な拡大が進むアメリカ。ソローはウォールデン池のほとりに小屋を建て、自給自足の生活を始める。2年2カ月にわたる森での暮らしの中で、彼は自然を観察し、自己について、そして人間と社会について書きつづった。物質社会に警鐘を鳴らし、シンプルに、自由に生きることを説いた必読の書。
・ヘンリーデイヴィッドソローとは
1817年マサチューセッツ州コンコードで生まれる。
ハーバード大学(当時はケンブリッジ大学)に入学し4年の過程をふみ卒業する。
ギリシャ・ラテンの古典にすぐれ、英国の詩人をよく読んだ。与えられた課題をすべて満遍なくやるという気がなかったので成績は優秀とは言えなかった。
幼少から自然について知識を得、その方面の書物も好んで読んでいた。東洋思想に興味を持ち、インドの経典・古詩、孔子や孟子の言説も訳書により読破した。彼の著述でもたびたび引用されている。
大学卒業後10年、コンコードの学校の教師をするも折檻など暴力的指導に嫌気がさし長くは続かなかった。しばらくブラブラする。しかし怠惰でも放縦でもなく長期の職業にしばられるかわりに、金が入り用になると、小舟や柵をつくること、植樹、接ぎ木、測量など短期の肉体労働の仕事でそれを得た。剛健な習慣と簡素な欲望、森に明るい知識、たくましい算数能力をもっている彼は世界のどこに行っても困ることはなかった。
質素な生活をしながら読書と思索によって自分を成長させることに専念し、その副産物として良書を書いて後世に残すことを目的とした。
1841年から2年にわたりエマソンの家に寄宿。超絶主義者の機関誌「ダイアル」の編集に従事し自らも寄稿した。
1843年ニューヨークへ出て家庭教師をし、また出版社との交渉などをした。大都会の生活になじめなかったが、見聞を広めるには役立った。
1845年~2年2ヶ月ウォールデンの森に隠棲した。
1847年ハーバードの同級生会の書記に送った身上報告。
「未婚。私のは職業だか商売だかわかりません。まだそれに通暁しておらず、どれもこれも研究する前に始めたのです。そのうちの職業的なものはわたしが独力ではじめたものです。一つではなく無数にあります。私は学校教師であり、家庭教師であり、測量士であり、植木職であり、農夫であり、ペンキ屋であり、大工であり、左官であり、日雇い人夫であり、鉛筆製造人であり、紙やすり製造人であり、文筆家であり、時にはへぼ詩人であります。
現在の仕事というのは多くの仕事の広告から生じてきそうな注文に応じることです。ただしそれは気が向いたらの話。私は普通の仕事・勤労と呼ばれるものをせずに生きる道を発見したので、必ずしもそれに飛びつく必要はないのです。実のところは私の主な仕事(それが仕事言えるならの話ですが)は自身を私の諸条件の上に据えて、天地間起こるあらゆる事態に即応出来るように常にしておくことです。
46年以降メーン州の森を度々訪れる
49年コッド岬に赴く
50年詩人チャニングとともに一週間をカナダで過ごす
これらを題材にした寄稿は死後まとめられ「コッド岬」「カナダにおけるヤンキー」の二巻となった。
1854年「ウォールデン・森の生活」出版
その成功は彼に経済的余裕と名声とをあたえ、講演の依頼も多くなり、肉体労働の必要もほとんどなくなった。またそのおかげで幾人かの友人も得た。
1860年肺病にかかる。
1862年5月6日死去
南北戦争(1861-64年)の二年目であり、「自分は国のため心も病み」「戦争がつづく限り快くならないだろう」といっていた。
南北戦争(1861-64年)の二年目であり、「自分は国のため心も病み」「戦争がつづく限り快くならないだろう」といっていた。
彼が2年2ヶ月を過ごしたウォールデン湖。その詳細についてはこのサイトが詳しいです。
自分の中にあるお上りさん的観光者の視点では、その場所を見てみたいと思うのですけど。
私が興味ある点は、当時この湖畔に独居するに至った意図にこそあります。
「多くの市民は、静かな絶望の生活を営んでいる。最高の芸術作品とはこういう状態から抜け出そうとする人間の苦闘を表現するものなのに、我々のまわりにあるものは、このひどい状況を快く感じさせ、より高い次元のことを忘れさせる作用を及ぼしている。」
若くして何千エーカーもの土地を受け継いだもの。彼・彼女はそれを維持するのに汲々としており、生きる喜びすべてを投げ出してそれに従事している。
古来からの役割を守るため現在の生活を犠牲にしてそれに励む者ども、多くのそういう輩を見たソローは重荷を背負って生きている人々がなんと多いことかと感じていたことでしょう。
現代はどうなのか?この広い地球に自身を入れる小さな構築物を得るために、生涯にわたり負債を払い続け、おまけに利息まで払い、利ざやで儲ける輩も養っているもの。月々法外な金を払い、別の人間(大家)を養うために働いているもの。マネーゲームや投資により一生かかっても使い切れないほどの財貨を獲得し、それを費やし虚栄心を満たすことを生きがいとしている者。日々の気晴らしに一時の慰めを得てそれが人生の喜びであると勘違いしている多くの人々。
”静かな絶望”
その絶望は余りに密やかすぎて人々はその悲惨さに気づいていない。これは「森の生活」の中、経済という最初の項で延々と語られていることです。
ソローは説く。「生きて行くには週に一日だけ労働をすれば良い」と。その他の時間は自分について、人間や社会について考える事に充てれば良いと。大量生産大量消費に染まった現代社会に於いて身の丈に合わない消費をするから過剰な労働になる。そして、多忙により自身について考えることがおろそかになる。食についてもしかり。便利・時間節約のあまり添加物にまみれた不自然な食事が大半となっている。
・何故1854年ベストセラーとなったのか。
・この著作が現代人に訴える点
日本では古来から独居して思索にふけるという暮らし方があった。
西行、鴨長明、竹中半兵衛、松尾芭蕉、近くでは出家女流作家瀬戸内寂静
多くは戦禍の忌避からのもの。芭蕉においては元禄の飽満な資本経済からの脱却の意味もあった。
アメリカ人であるソローには独居であってもそれは忌避の生活ではなく、頻繁に街に出て行った。
自然であってもそれを冷徹に見つめ測ってあらわそうとする現実主義的視点がある。
同時に科学者の視点、また土木建築業者としての実利主義も見られる。
一方日本ではすべてが詩的に昇華する。図形の詳細ではなく大まかな物体その趣に興を感ずる。
観察眼はすぐに感覚に結びつく。物体を詳細に眺め測り記録するという行為はない。(その点北斎は異質の絵師だったと言える)
・1980年代、何故サブカルを扱う「宝島」でもてはやされたのか。そして21世紀からのOne Decadeを経た今、すべての言葉が私の心にしっくりくるのはなぜなのか。
その絶望は余りに密やかすぎて人々はその悲惨さに気づいていない。これは「森の生活」の中、経済という最初の項で延々と語られていることです。
高度資本主義社会という霧に人は目隠しをされ痴呆状態になっている。
技術革新により人は便利さを享受し、多くの楽しみを得たが生きることの喜びを失いつつある。ソローは説く。「生きて行くには週に一日だけ労働をすれば良い」と。その他の時間は自分について、人間や社会について考える事に充てれば良いと。大量生産大量消費に染まった現代社会に於いて身の丈に合わない消費をするから過剰な労働になる。そして、多忙により自身について考えることがおろそかになる。食についてもしかり。便利・時間節約のあまり添加物にまみれた不自然な食事が大半となっている。
・何故1854年ベストセラーとなったのか。
ソローの時代においては汽車・汽船・電話などが実用に供せられ、アメリカは西部に向かって大発展の途上にあり、物質文明は栄えたが一方、都市・農村における生活難も深刻なものがあった。ソローの平和なウォールデン生活中にも奴隷問題にからんでメキシコとの戦争があり(1846-47年)、彼の死んだのは南北戦争の最中であった。誠実な魂をもった彼が時代のうごきに無関係でいられなかったのはいうまでもない。
戦争と奴隷とを支持する政府のために税金を出すことをこばみ、投獄されたこともあった。奴隷解放のために熱弁をふるったソローの一面は著書「市民としての反抗」富田彬訳に詳しい。
時代にアジテートする意味もあったのか。その時代を的確に表現する評論家の役割もになっていたようだ。晩年の彼は講演を通して表現者であるだけでなく、政治家の様な感じでもあったのだろう。
時代にアジテートする意味もあったのか。その時代を的確に表現する評論家の役割もになっていたようだ。晩年の彼は講演を通して表現者であるだけでなく、政治家の様な感じでもあったのだろう。
・この著作が現代人に訴える点
アメリカのバンド”イーグルス”のドンヘンリーはソローに傾倒していることを語っていた。~ソローを初めて読んだのは少年のとき。こういう風に感じ、考え、生きたアメリカ人がいたということに、強い衝撃を受けた。
西テキサスの原野に育った少年のぼくにソングライターになる勇気をくれたのは、ソローのつらぬいた臆することのないシンプルさ、真摯さだった。
この言から読み取れること。「こういう風に感じ、考え、生きたアメリカ人がいたということ」それは日常的な思想ではないということ。そしてその当時では決して主流ではない思想だったということ。
また、名作「ホテルカリフォルニア」のテーマについて彼は「文明社会が犯してきた過ち」といった意味のことを話していた。そしてちょっと笑いながら、「日本にもいえることだよね」と付け加えたとのこと。
私、常々思っています。ケネディーの言葉ではないですが、公共団体が何をしてくれるのか問うのではなく自分自身何が出来るのかを問いたいと。
物価高、トランプ関税、米価格高騰、低賃金(にもかかわらず)人手不足。そういう問題に対しては補助金ありきではなく、社会システムの大規模な変革が必要なのです。
・この著作が日本人に訴える点この言から読み取れること。「こういう風に感じ、考え、生きたアメリカ人がいたということ」それは日常的な思想ではないということ。そしてその当時では決して主流ではない思想だったということ。
また、名作「ホテルカリフォルニア」のテーマについて彼は「文明社会が犯してきた過ち」といった意味のことを話していた。そしてちょっと笑いながら、「日本にもいえることだよね」と付け加えたとのこと。
(今の若い人にとって「イーグルス」というバンドの存在すら知らないというのは大半なのでしょう。
かつてはスタンダードであり、同時代を過ごした偉大なバンドであったのですが、音楽って移り変わりが激しいですし、、、)
文明の発達が人間を悲劇的な存在に追いやってしまったことは誰にも否めない。
ほかならぬ人間自身によって作られてきた時代なのに、いつしか人間の手に負えない妖怪と化してしまっている。ところが、人間の肉体と精神はいまだに大自然にひたりと寄り添って生きるように造られている。つまり、それ以外の生き方には苦痛を伴うようにできている。この厳然たる事実は、どうやらあと数千年を経ても変わりそうにない。
従って、人間の不幸はこの先ますます深まり、そうした苦悩から束の間開放させてくれる麻薬的な刺激の数々が生きるよすがの錯覚としてますますクローズアップされてゆくだろう。芸術もそのひとつかもしれないが、音楽はともかく、文学や美術は果たして麻薬がもたらす陶酔感と互角に張り合えるほどの力を持ちえるだろうか。~作家丸山氏エッセイより。
今の若者は経済的に豊かではなくとも、幸せを感じる人が多いと言われる。
その基準は、SNSなどによる自身への承認による所が大きいそうだ。
そう云う姿勢はデフレスパイラルの元凶なっており、日本国を崩壊に導きかねないとの指摘もある。毎年40兆円もの財政赤字を増やしつつ国力は確実に減退しているこの状況に目をつぶり、一人幸せだと自身を納得させる今の若者。逆のことも言える。未来になんの希望も持てないからこそ現在をより幸福だと思わなければやっていけないのだ。若者は富を蓄えたりしたがらない。それは暗に確たる未来が予見されていない事の裏返しなのかもしれない。
世界は滅びる。そう云う予感が形にはならないにせよ諦観のように人々の中にあるのかもしれない。
これに似た状況は他国にもあった。PIIGSと俗に言われる欧州諸国。財政赤字を抱えながら社会福祉の欲求が異常に高く、政府がそれに答えたが故に破綻した、ポルトガル・イタリア・アイルランド・ギリシャ・スペインなどだ。
私、常々思っています。ケネディーの言葉ではないですが、公共団体が何をしてくれるのか問うのではなく自分自身何が出来るのかを問いたいと。
物価高、トランプ関税、米価格高騰、低賃金(にもかかわらず)人手不足。そういう問題に対しては補助金ありきではなく、社会システムの大規模な変革が必要なのです。
日本では古来から独居して思索にふけるという暮らし方があった。
西行、鴨長明、竹中半兵衛、松尾芭蕉、近くでは出家女流作家瀬戸内寂静
多くは戦禍の忌避からのもの。芭蕉においては元禄の飽満な資本経済からの脱却の意味もあった。
アメリカ人であるソローには独居であってもそれは忌避の生活ではなく、頻繁に街に出て行った。
自然であってもそれを冷徹に見つめ測ってあらわそうとする現実主義的視点がある。
同時に科学者の視点、また土木建築業者としての実利主義も見られる。
一方日本ではすべてが詩的に昇華する。図形の詳細ではなく大まかな物体その趣に興を感ずる。
観察眼はすぐに感覚に結びつく。物体を詳細に眺め測り記録するという行為はない。(その点北斎は異質の絵師だったと言える)
・1980年代、何故サブカルを扱う「宝島」でもてはやされたのか。そして21世紀からのOne Decadeを経た今、すべての言葉が私の心にしっくりくるのはなぜなのか。
「森の生活」は予言の書であったのかいや、そうではない。危機のたびに慰めの言葉を得たいという心情は何ら変わるところはない。社会情勢は変われど人間は少しも変わってはいない。人間は進化していないのだ。
哲学・思想体系、古くはソクラテスの「無知の知」であり、ルソーの「自然に還れ」であり、パンセの「気晴らし」という思想があった。大昔にもたらされた思想であるがそれは”古い考え方”ではない。
人対人でいうと遠くの人とは近くなったかもしれないが、隣の人とはより疎遠になっている。
哲学思想は変わらない。賢人の思想は今でも新しい。
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