一地方都市に於ける職人の昼飯事情。
例えば神奈川県足柄下郡中井町。コンビニが3軒ほどあるのですが何処も駐車場が一杯になります。
コンビニ飯を車中で食う。それが時間がかからなくて一番良いのかも知れません。
数少ない食堂は何処も大混雑。昼休みの限られた時間の中で入店できるか否かが一番の問題。 そのメニューも何の変哲も無い”普通の”定食が1400円だという。
昔からある食堂は代替わりを迎え、継ぐものがなく店を閉めることが多い。 比較的大箱の処はほとんど中華系かネパール系に代わってしまう。 そのうち個人経営の飲食店はなくなってしまうかもしれない。
チェーン店により大量生産大量消費が当たり前になり、食材にもこだわりがなくなり、画一的な味ばかりになってしまう。 一方、素材にこだわりたい者は「真土不二」の思想ではないですが、地場の作物を使い、あるいは自身で生産し自分で料理する方向に走るかもしれない。 そういう時間がないもの、食にさほどこだわらないもの、少しでも安くあげたいものはチェーン店・コンビニ食に向かう。食の分野では2極化の時代になって行くのでしょう。
思えば昭和の頃、頻繁に外食することはなかった。 専業主婦(夫)が大半であり、一家の食に関しては家計を預かる主婦(夫)に責任があった。 出来合いの惣菜を買うというのはまれで、少しでも安い上質な食材を料理して食していた。何処の家にも「我が家の味」というものが存在したものです。
さらに遡り江戸期はどうであろう。 鬼平で描かれた幾多の名物は江戸庶民にとってどういう位置づけであったのか。 (現在大河ドラマで描かれている火付け改め方の長谷川様は少々変な人物とされていますが、今期の大河は見るのを止めてしまったので最近はどうであるかわかりません) 江戸ってかなり特殊な町であったといわれています。地方から多くの男が流入し、その多くが個人事業主で中には遊び人の金さんもおり、圧倒的な単騎男子社会だったそうです。 蕎麦屋、寿司屋、居酒屋、 そういう大衆食堂爛熟の時代であったと言われています。
その様はまさに高度経済成長期の都市部に現出した多くの廉価な”めしや”の様に似ています。
消費税という「悪魔の税制」があります。 不景気で消費を促したいにもかかわらず、生産から加工、問屋、中抜き、販売、すべての段階で10パーセントずつ上乗せされて行くものです。 もとよりその思想に”神の見えざる手”的な自由主義の根本思想を欠いています。 社会主義的な政府の介在が消費行動の至る所にちょっかいを出しているということなのです。 それは社会保障に限って適用されていくというものだそうですが、もとより国民年金は破綻していますし、満額であってもそれだけで暮らして行くには到底無理な額なのです。
自分が生きて行くに足るものだけを生産しそれを自身で加工し食す。狩り、時に採取し保存食として蓄える。税はしょうがないのでインフラに充てていただく。 そういう原始的な生活に還ってゆく事が出来ないものだろうか。
そんなことを考えているとき 土を食らう12ヶ月という映画を観ました。
淡々とした描写の中にも自然に対する深い洞察や人間本来の生き方といった命題を突きつけられる感動深い作品でした。
実はこの映画、公開されたのが2022年11月11日。(亡き私の父の誕生日)その元になった水上勉氏の著作は1978年の刊行です。40年以上の年を経て輝く思想ってあるんだな、、、と感嘆した次第です。
映画の主人公勉さん(作家水上勉氏)は精進料理の心得があるのでいかようにも出来るのでしょうが、ここまで熟達するのはかなり大変でしょう。何らかの方法で動物性タンパク質も得なければならないし、 簡単ではないことはわかっています。 でもですね、死ぬまでに一度はやってみたいのです。高度に発達した資本主義社会の内で、それも都市近郊という地で自給自足は成り立つのか。

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数少ない食堂は何処も大混雑。昼休みの限られた時間の中で入店できるか否かが一番の問題。 そのメニューも何の変哲も無い”普通の”定食が1400円だという。
昔からある食堂は代替わりを迎え、継ぐものがなく店を閉めることが多い。 比較的大箱の処はほとんど中華系かネパール系に代わってしまう。 そのうち個人経営の飲食店はなくなってしまうかもしれない。
チェーン店により大量生産大量消費が当たり前になり、食材にもこだわりがなくなり、画一的な味ばかりになってしまう。 一方、素材にこだわりたい者は「真土不二」の思想ではないですが、地場の作物を使い、あるいは自身で生産し自分で料理する方向に走るかもしれない。 そういう時間がないもの、食にさほどこだわらないもの、少しでも安くあげたいものはチェーン店・コンビニ食に向かう。食の分野では2極化の時代になって行くのでしょう。
思えば昭和の頃、頻繁に外食することはなかった。 専業主婦(夫)が大半であり、一家の食に関しては家計を預かる主婦(夫)に責任があった。 出来合いの惣菜を買うというのはまれで、少しでも安い上質な食材を料理して食していた。何処の家にも「我が家の味」というものが存在したものです。
さらに遡り江戸期はどうであろう。 鬼平で描かれた幾多の名物は江戸庶民にとってどういう位置づけであったのか。 (現在大河ドラマで描かれている火付け改め方の長谷川様は少々変な人物とされていますが、今期の大河は見るのを止めてしまったので最近はどうであるかわかりません) 江戸ってかなり特殊な町であったといわれています。地方から多くの男が流入し、その多くが個人事業主で中には遊び人の金さんもおり、圧倒的な単騎男子社会だったそうです。 蕎麦屋、寿司屋、居酒屋、 そういう大衆食堂爛熟の時代であったと言われています。
その様はまさに高度経済成長期の都市部に現出した多くの廉価な”めしや”の様に似ています。
消費税という「悪魔の税制」があります。 不景気で消費を促したいにもかかわらず、生産から加工、問屋、中抜き、販売、すべての段階で10パーセントずつ上乗せされて行くものです。 もとよりその思想に”神の見えざる手”的な自由主義の根本思想を欠いています。 社会主義的な政府の介在が消費行動の至る所にちょっかいを出しているということなのです。 それは社会保障に限って適用されていくというものだそうですが、もとより国民年金は破綻していますし、満額であってもそれだけで暮らして行くには到底無理な額なのです。
自分が生きて行くに足るものだけを生産しそれを自身で加工し食す。狩り、時に採取し保存食として蓄える。税はしょうがないのでインフラに充てていただく。 そういう原始的な生活に還ってゆく事が出来ないものだろうか。
そんなことを考えているとき 土を食らう12ヶ月という映画を観ました。
淡々とした描写の中にも自然に対する深い洞察や人間本来の生き方といった命題を突きつけられる感動深い作品でした。
実はこの映画、公開されたのが2022年11月11日。(亡き私の父の誕生日)その元になった水上勉氏の著作は1978年の刊行です。40年以上の年を経て輝く思想ってあるんだな、、、と感嘆した次第です。
映画の主人公勉さん(作家水上勉氏)は精進料理の心得があるのでいかようにも出来るのでしょうが、ここまで熟達するのはかなり大変でしょう。何らかの方法で動物性タンパク質も得なければならないし、 簡単ではないことはわかっています。 でもですね、死ぬまでに一度はやってみたいのです。高度に発達した資本主義社会の内で、それも都市近郊という地で自給自足は成り立つのか。
「今日1日暮らせればそれで良い」映画の中での勉さんの言葉です。
過剰な消費をするから過度な労働が必要になる。その結果時間が無くなりコンビニ飯や冷凍食品・レトルト食品を食すことになる。
様々な分野で既存の経済システムが破綻している現代、自身の生活を変えてみる必要があるのかも知れません。
過剰な消費をするから過度な労働が必要になる。その結果時間が無くなりコンビニ飯や冷凍食品・レトルト食品を食すことになる。
様々な分野で既存の経済システムが破綻している現代、自身の生活を変えてみる必要があるのかも知れません。

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