Cuernavaca

神奈川県南西部 食と生活

創作

釣りをはじめ、ルアーやフライなどにも手を出しはじめるとなにやらものを考えるようになります。
釣りの体験を多く書き残したアーネスト・ヘミングウェイ。
フライフィッシングと信仰についての物語、「A River Runs Through It」。
夢枕獏氏や糸井重里巨匠など、ものを書く人間が多く釣りにのめりこんでいるのも、「むべなるかな」です。
本来魚の食すはずのない異物を餌に見立て、騙し釣り上げるルアーフィッシング・フライフィッシングなどの釣法には、思想や芸術の入り込む余地があります。
自然の営みを模倣しそこから獲物を得ようとする行為には、創意があります。
「芸術は自然を模倣する」(アリストテレス)のです。
日本でルアーフィッシングの草分け的存在でもある、開高健氏は釣りに関する幾多の作品を残しています。
そんな氏の著作をすべて覚えていて、すぐに記憶と云う引き出しから取り出せるわけではないのですが、氏の作品や思想は常に私とともにあり、意識下で常に日常に影響を及ぼし続けています。

鮭は、生涯ただ一度の産卵のために命がけで生まれた川をのぼる。
そして子の姿を見ずに死んでゆく。
毎年同じことが、太古の昔から繰り返され、鮭の総量は、変わることがない。
万物は流転する。
エネルギーの質量は恒存である。形が変わるだけである。
生を授かり、元自分が生まれたこの自然に育まれ、何の爪あとも残さず、
自分の分身だけをこの世に生産して、土に還る。
野生の命は、まったく唯物的である。
それが、徹底的に唯物的、散文的であるがゆえに、時として、哲学的であるともいえる。
ただ人類だけが、この生物の唯一無二の哲学を忘却しているだけなのだ。
開高釣り文学の中心舞台アラスカ。そこでのレッドサーモン・フィッシングに関する記述があります。
川に産卵に戻ったこの魚は、完全に食欲を失っており、ルアーで釣ることは容易ではないのですが、そんな中、特に好奇心旺盛な特異な個体がいて、ルアーにちょっかいを出すことがあるそうです。鮭の数が何千、何万になればたとえそんな奇特な奴が、全体の一パーセントであろうともかなりの数になるに違いない。それで釣りとしては満足の行く結果を得られることになるようです。

私、常々思っているのですが、この好奇心旺盛な奴というのは、全体から見ればほんの一握りであり、変わった奴であり、アウトローであるかもしませんが、種を変化させ進歩へと導いてくれる稀有なる存在であると思っています。

Solitary~自己完結 隔絶された自身。
一人であることの居心地の良さ、それを放棄してまで集団にすり寄ることはない。
平凡に生きていると埋没してしまう、抹殺されてしまう何か・・・
それを追い求め著し世に残す、何かを成し遂げるために生まれてきた存在。
そういう異分子、亜種は人口の8%だといわれます。
それが種の発展に貢献することがあるかもしれない。

たとえば「きのこ」について。
今では体系的にまとまっているので、少し調べさえすればどれを食することができ、どれが有毒であるかすぐ知ることができます。
しかし何も知らない先達はどういう風にその知識を身に着けていったのでしょうか。
誰かが興味を覚え、食し、腹をこわしたこともあったでしょう。
先天的に持っているかのように思われるこんな情報も、それは常識に囚われないものの好奇心や、勇気に溢れた者たちの累々と築いた知識の蓄積なのです。
この様に最初に踏み出すものがいなければ、果たして人類はここまで進歩することができたのでしょうか。

例えばコンクリート上に干からびて死に絶えたミミズについて。
隣接した野原、芝生に埋もれていれば十分幸せな生活を送れるであろうに・・・。
決して少なくない異端児が土場に現れ、夏の乾いたアスファルトを果敢にも横断しようと蠢く様を目にします。この奇妙な行動はミミズ種にとって何らかの益をなしているのか?個体数を一定に保とうとする「口減らし」的な行動なのか?あるいはミミズ種がさらなる発展をするための重要な布石なのか?

たとえ自身で律することができない異形のものを抱えていたとしても、それを恥じることなくむしろ非常識を歓迎せよと言いたいものです。
種の進歩・発展のためにはアウトローの存在は必要で、決まりきった常識との切磋琢磨なくして、次の更なる発展は望めないのです。
そう考えると、世のいろんなばかげた行動も、寛大な目で見ることができるように思われてきます。

「いいか、一体何人が不死に耐えられる?多くは自滅するよ。世界は変わる。だが我々は、そこに皮肉が生じ、自滅にいたる。君を通して時代を知りたい。」
「僕を、冗談だろう?体現者どころか、どんな時代にもなじめずにいる。」
「それこそが時代の精神だ。核なんだ。君が堕落していくように、時代も堕落している。」
「劇場の連中は?」
「ただの、くずさ。何も反映していない。だが君は違う。心が嘆きに満ちている。」
「人の魂を持ったバンパイア。死の情熱を抱えた不死。つまり君は、美しいんだよ。」
インタビュー・ウィズ・ヴァンパイアより

僕の家の近く。
3街区のはずれ、クヌギの森が始まるその入り口に、ひとつポツンと建物があリました。
周りを囲うトタンは錆つき、穴が開き、伸び放題になった雑草やら、山芋のつるやらが絡みついていました。一部分はちょうど車一台が通行できるくらい開いており、そこからのぞける建物自体はプレハブというものでしょうか、広さは六畳間二つ分ぐらいでしたが、敷地はかなり広く、僕が住む団地ちょうど一棟分ぐらいの面積はありました。建物の中からはいつも金属を打ち付けるような音が漏れていたので、何かを組み立てる作業所のようなものだったのでしょうか。中を覗いたことは無かったのでよくわからなかったのですが、時を経てその建物が解体され整地され住宅に変わった姿を見て、果たしてかつてどういう産業が行われていたのかもはや知るすべはありませんでした。当時僕らがこの場所に興味を抱き、一時期僕らの遊びの中心に組み込まれた要素は、この広い敷地のほうにこそあったのです。
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小学3年生。学校では給食が終わり、掃除を済ませると下校の時間です。もうすぐ夏休み。陽はどんどん長くなり、まだ遊ぶ時間は十分にあります。
 同じクラスのあづちは僕と同じ街区、僕の向かいの棟に住んでいます。今日ふたりは家に帰る前に寄り道をしてクヌギの森へいこうと話し合っていました。僕らにとってこの森は遊びの中心舞台です。無限に広がっているようで、行っても行っても果てがないかのようです。昨日は”かぶとの木”を通り過ぎてしばらく進んだあたりで、急に木々がまばらになりそして突然視界が開け、一面にクローバーが繁茂している場所に到達しました。そこで4つ葉のクローバを探し、やがてそれに飽いてしまうと寝転び、仰向けになって空を眺めていました。
回りの森でまあるく切り取られた青い空には、やけに白くくっきりとした雲が浮かび、
視線のはるか遠くを、輪を描くようにひばりが滞空していました。
さえずりながら、時に下降しまた上昇する。突然の闖入者に対し警告を発し、威嚇しているのでしょうが、それは見ていて飽きないものでした。
今日はその先まで行ってやろう。平原から先にはさらに未知の森が始まっており、ひょっとしたら素晴らしいクヌギの老木にめぐり合い、かぶとやくわがたが一杯群れているかもしれない。

学校の門をでて、かばんを持ったまま家とは反対に左に折れ、あづちと一緒に森へ向かいます。
「きょうはよー、クローバーの野原の先まで行くべ。」
あづちは僕より一回り背が高く朝礼の並び順でも後ろから2番目。
大きな歩幅で、ぐんぐんと進み僕を振り返ってそういいました。
「だったら急がなきゃ」
僕は彼に追いすがるように歩調を速めます。
いつしか僕らは走り始めていました。
未知なる森は僕らをひきつける強力な磁石です。
背の薄っぺらなランドセルから、カタカタと一定のリズムで響く音。
教科書やノートなど入っていない。筆箱の中で鉛筆がただ揺れる。

いつもなら道筋のあらゆるものにちょっかいを出し、寄り道ばかりしている2人が、今日はものの5分もかからず、森の入り口に到着しました。
今日は気合が違う。さあ、くぬぎの森だ。一気にクローバーの平原まで行き、未知の森を目指すんだ。
そんなやる気に満ち溢れています。

入り口にある建物からは今日も金属を打ち付ける音が響いています。
いつもなら何の関心も払わず通り過ぎてしまう場所ですが、入り口脇の細い獣道を駆け抜けようとした時、ぼくは草いきれにむせ、少し歩調を緩めました。
その刹那・・・いつもはそこにないものが目に付きました。
~つづく~

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