Cuernavaca

神奈川県南西部 食と生活

創作

「子犬用のミルクか。」
「1000円位するらしいぞ。」
「うちじゃとても買う金はないな。」
そういいながら、僕はある策略を頭に描いていました。
僕達にお金がないなら、ある所から出してもらうしかない。
大人にたいしては’犬のために特別なミルクが必要だ’などと言い含めることは、とてもできそうにありません。ヤスさんに言ってみても無理だとは思いました。
こうなったら、同級生で、お金のあるやつを仲間に引き込むしかないかな・・・
「一組の矢島をなかまにいれようか。」
「やじまかぁ」
「あいつにも犬を一匹任せれば、かわいくてしかたなくなって、ミルクなんかわけもなく買ってもらえるぞ。」
我ながらずるがしこいやり方だとは思いましたが、この素晴らしい体験をみんなで共有する。
それが悪いはずはありません。
「そういうことか。」
あづちは少し歯切れが悪い。彼のような御山の大将には、矢島のような’坊ちゃん’は、一番受け入れがたいタイプなのですから。
「そうだな・・・健のいう方法しかないな。」
あづちもしぶしぶ僕に賛成してくれたようです。

あとは子犬たちの離乳期に備え、肉をどうするか。
駅前には大きな肉屋がありました。
買い物のお使いを頼まれる時は、いつもここに来ていました。
店先のグリルのケースの中には、鶏が今まさに首を落とされ、羽をもがれたばかりのように、あぶられながらぐるぐると回っています。
えもいわれぬ香ばしいにおいがいつもあふれ、、少し高級なものを扱っていることもあり、そこは僕の憧れのひとつでもありました。
”これだけ大きな肉屋だったら何か余り物もあるかもしれない。”
店頭には割烹着を着たお姉さんが3人いました。そのうちにの一人に聞いてみました。
「あまっているものはないのよ。うちでは、みんな加工しちゃうから・・・」
「特別に安く買えるもの?店長に相談してみないとわからないわね。でも今はいないのよ。」
う~ん、ちょっと難しいみたいです。
団地のはずれに小さな商店街があり、そこにも小さな肉屋があったはずです。
いちども買い物をしたことはありませんでしたが、よく前を通っています。
ショウケースの中にはほとんど肉もなく、お店の人がいたためしがなく、当然お客さんの姿を見たこともありませんでした。
中島精肉店という看板が、とたんで囲われた店の入り口に掲げられていました。
引き戸はアルミサッシではなく、木でした。
こんにちは、ごめんください・・・何度か叫ぶように問いかけると
やっと店の奥からおじさんが出てきました。
今度はあづちが訊いてみます。
「子犬か・・5匹もいるのかよ・・」
やせて小柄な体の上にちょこんと乗った細い顔。
その額にはしわが幾筋もあり、それがさらに深く刻まれます。
「だったらすじ肉っていうのがあるからこれだけで100円でいいよ。」
「えーっ。こんなたくさん。」
驚くほどの量です。中島のおじさんは、それをドンとカウンターの上にぶちまけると、紙で手早く包み、あづちに渡してくれました。
僕はちょっと気になっておじさんに聞いてみます。
「これで商売、だいじょぶなんですか。」
「いいから気にすんなって」
「でもあまりお客さんもいないようだし・・・」
言ってからしまったと思いました。ほんと余計なお世話です。
でもなぜかこの店の不思議を明かしたくて、聞かずにはいられませんでした。
中島のおじさんはそれを聞くと豪快に笑いながら<
「うちは卸が専門だから店先にはあまり商品はないんだ。お客さんはお店の人だよ。この辺の食堂の肉はほとんどうちの肉だよ。」
そういうことか・・・
でも、たぶん、これだけの肉は100円では買えないでしょう。
おじさんは商売を抜きにして、僕らを助けてくれているのです。
「ありがとうございました。」「これから肉は全部ここで買います。」
僕らは何度も頭を下げ、肉屋をあとにしました。

僕とあづちが犬を見つけ、一組の矢島と遠藤が仲間に加わり、先生にもいろいろと相談しているうちに、僕らが犬を育てていることは、学校でもかなり知れ渡ってきました。
僕たちは森へ行く時間を削り、ほとんどの時間、建物の敷地で過ごしました。
ヤスさんも休憩の時間になると、頻繁に僕らのもとにやってきて、犬の様子を見に来ます。
だけどヤスさんのあやし方は少々手荒で、見ていてはらはらしてしまいます。
犬たちはほとんどの時間寝ているのですが、起きだしてくるとお互いじゃれあったり、けんかをしたり。そしてだんだん行動範囲も広がってきました。
今までは放し飼いでしたが、そろそろ縄をつけなくてはならない頃でしょうか。
僕らは犬が寝ている間はなるべく邪魔をせず、また新しい遊びに打ち込んでいました。
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敷地の奥には一本だけ目だって、大きなくすのきがありました。
僕らにの手の届く位置に枝はなく、上るのは無理だろうと思っていたのですが、
隣の杉の木の枝が成長を続け、そこから乗り移ることができるようになりました。
そこで、くすのきの一番下の枝に犬小屋を作った時のあまった材料で丈夫な足場を作り、
簡単に乗り移れるようにしました。
そこを足がかりに、僕らは上へ上へとこの木を征服し、新たな基地を作りつつあったのです。</p>

お盆の休みにはいり、夏休みも残り二週間になった頃、
ぼくらは矢島のお母さんの運転する車に乗り、
犬たちを連れ出して、川へやってきました。

毎年この時期に僕らはここを訪れていました。
今では上流にダムができてしまい、川の勢いもなさけないものになっていますが、その当時は、水流といい、深さといいこの近辺では一番のものでした。
深い淵に潜り、その先の小さな滝を滑り落ちる。それは小さな挑戦であり、一種の度胸試しであり、男子が強くなるための通過儀礼のような意味あいもありました。
車の中で犬たちは落ち着かないのか、始終動き回っていました。
何とか抱き上げ、哺乳瓶をくわえさせ、押さえつけているしかありません。
初めての外出です。きっと僕らと同じようにわくわくする気持ちが溢れているのでしょう。
川にたどり着くと僕たち4人は矢も盾もたまらず、服を脱ぎ散らかし、学校ではいているのと同じ紺色の水着になり、川に飛び込みました。

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矢島も、遠藤もここに来るのは初めてです。矢島は泳ぎは得意なようで、すぐ僕やあづちについて深みまでやってきます。
遠藤は、少し太っているせいか、あまり運動が得意ではないようです。
彼は川辺の浅いところからなかなかでてこようとはしません。
水流が緩くなる深場には、ハヤや、オイカワなどの魚が群れていました。
それを見つけると、僕らのささやかな狩猟本能は刺激されます。
竹の棒がついた網を持ち出し、捕まえようと試みますが、いまだかつて網ですくえたためしはありませんでした。

「一人一人勝手に取ってるだけじゃだめだよ。誰かが網を構え、誰かが深場から浅いほうへ魚を追い込むんだよ。」
遠藤は釣り好きでもあり、父親は網なども打つようです。
そこから得た知識なのでしょう。ぼくらに教授します。
「じゃあ健と矢島はもぐって魚を追い込んでこい。」
「俺と、遠藤でそこの落ち込みの上で網構えてるから。」
こんな時仕切るのはいつもあづちです。
「健。そおっと行って、一気に蹴散らせよ。」
「わかってるって。」
「浅いところに来たら走って、こっちに追い込めよ。」
「わかったよ。」
あづちは何度も確認するように僕らに指示を出します。
そおっと忍び寄って一気にバタ足をして泳ぎ、落ち込みの近くまで走りきると、大半の魚は僕らを回りこんで、深みに逃げたようですが、数匹浅場へと追い上げられ、あづちや遠藤の待つほうへ逃げてゆきます。
「行ったぞ。」「すくえよ!」
今度はあづちの番です。ちゃんととらなきゃ承知しないぞ。
「きたぞー。」「捕ったぞ!」
初めて捕れました。丸々と太ったハヤが二匹。

犬たちが泳げるとは思っていませんでした。
眠りから覚めた後、浅瀬へと連れて行き離します。
始めて見る川にどんな反応を示すのでしょうか。
好奇心旺盛なジムが、まず足を浸すように川に入ります。
ちょっと湯加減を確かめる。そんな入り方でした。
そのうち淵から流れのあるほうへ、突然ジムは走り出ました。
緩い流れではありますが、徐々に深みにはまり、流心へと流されていきます。
僕も浅瀬を追走するのですが、流れのほうが速く追いつけそうにありません。
「おい、ジムがそっち行ったぞ。ジムを捕まえてくれよ。」
下流でジョンを水に浸していたあづちに叫びます。
「おう。魚捕まえるより簡単だよ。」
のんびりした調子で答えますが、僕は気が気ではありませんでした。
あづちのいる淵の先は早瀬になり、その先は滝になっているのです。
僕はだんだんあせってきました。瀬の中の大小の石に躓き、ジムとの距離はさらに開いていきます。
僕は川に入りそして流心のほうへ向かいました。やっと立てるくらいの深さです。
流れは厚く、立っているのがやっとです。川での事故は案外このくらいの深さのところで起こることが多いそうです。
「やばいかな・・・」恐怖が下腹から頭の先へと駆けのぼりました。
それでもジムのほうは、最初こそ手足をばたばたさせていましたが、ふと何かを思い出したとでもいうように頭を高く持ち上げると、しっかりとその手で、水をつかみ始めました。
そしてゆっくりと川の流れを横切って、浅いほうへと方向を変えてきました。
初めて鳥が飛び立つ時は、まさにこんな感じなのでしょうか。
それは、立派な犬掻きでした。見事に飛翔したのです。
誰が教えたわけでもないのに、初めて川に来て素晴らしい泳ぎを披露したのです。
恐怖から開放され、ジムが無事だった喜びもあり、また、野性的本能として持つものの崇高さに打たれ、感動もしていたのでしょう。僕は岸に帰ると泣き出してしまいました。
皆はちょっとびっくりしたようでしたが、僕自身もこの複雑な感情をうまく理解することはできませんでした。

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