kusadaikonnsujigumo
この日から四日後、僕の家はもう少し都心へ近いところに転居しました。
僕にはひどく突然に思えましたが、両親の心の中にはいつも”一軒家を所有する”という考えがあったようです。
あづちとその家族も引越しの手伝いをしてくれて、見送ってくれました。
犬は「ジム」だけを連れて行くことになりました。
不思議なことなのですが、僕は今でもあづちや、ほかの犬たちとの別れの情景を、思い出すことができません。
引越しの日の前日、母さんと一緒に小池先生のところに挨拶に行ったことをぼんやりと思い出せるくらいです。悲しかったという感情の記憶もないのです。
これはきっと子供が持つ、悲しい出来事を封印し、努めて忘れようとする意識下の行いなのでしょう。

人は生まれる場所を選ぶことはできないが、死ぬ場所を選ぶことはできます。
幾年も経て今、僕は再びこの地に戻り、団地の近くに居を構えています。
クヌギの森は今でもあります。一部が伐採されてしまったせいでしょうか。かつて無限の広がりを持つかのように感じられたこの森も、いま大人の目で見てみると、ずいぶんちっぽけなものに感じられます。