4月半ばみかん剪定のまねごとをしていました。
下枝の下垂した部分の枯れ枝をパチパチと切っていたところ、左手小指に違和感を感じました。実際痛みはさほどでもありませんでしたが、夥しい出血と、その切断部分の絵面に激しく動揺し、すぐに病院へ駆け込みました。
(何処も通常の営業?時間を過ぎていたので救急扱いになり、仮縫い程度のぞんざいな処置で終えたのですが、それがすべての元凶でした。)

自分の体に対する無頓着からか、あるいは自己抹消の潜在意識でもあるのか(実際は医療的処置に不備があったのですが)小指の傷を激しく腐敗させてしまい、先日の手術を経て左手は完全に機能しないものになりました。
しばらくは農作業を行うこともままなりません。

このところの僕と言えば、毎日の労働で疲弊し、帰宅すると飲んで、食って、寝るというだけの生活でした。この日常において「書く」という習慣をもつことができずにいました。
農の分野において役立たずになり、一般社会でいわれるゴールデンウィークの休みをいただきました。
そうして得た考えることのできる時間、思索することができる気力の残った時間。
まさに身を犠牲にして得た、生活に創作をとりいれるまたとないチャンスをもらったのです。

今日、10時30分の予約で病院にいってきました。
簡単な経過確認かと思ったら、
「腐ったところをとります。かなり痛いので麻酔をしますよ!!!」
若き女医さんにそういわれ、ぞくっとするものを感じました。
またしても痛みを味わうことに、うんざりした気持ちもありましたが、
どうも自身を痛めつける快感のようなものを少なからず感じていたようです。
麻酔注射をしながら
「痛いですか?」
僕の顔をすこし上目づかいに見上げ尋ねるその勝気な面立ちを眺めていると、
「マゾ」というのはこういう感覚をいうのか・・・。
そう知覚されました。

この仕事を始めてから・・・あきれるほどの自然治癒能力に自分自身感嘆しています。
僕の手はかつての僕のものではなく、明らかに一回り大きくなっています。
僕は木々と親しくなり、野生に近づいてゆくのです。
けが・疵に対する回復力は発達しましたが、その分失われた能力があるのでしょうか。
原初的な労働を続けていると、後天的なもの~人間が自ら作り上げた社会に適応するために必要なある種の能力~が損なわれてゆくのかもしれない。

思考・分析する能力は日々退化して行きます。
農業をするのに哲学が必要でしょうか。畑を耕しながら宇宙の成り立ちを思うことは出来ません。
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