Cuernavaca

神奈川県南西部 食と生活

国府津

現在の様子

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国の無形文化財登録、神戸屋ふるや店(最初の写真)は健在。看板建築は数カ所残るものの、空き地が多くなり歯欠け状態になっています。多くはタイムズなどの駐車場になり、都市衰退の典型的図式が見られます。

20年前の様子(一部写真はお借りしました)

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国府津看板建築 017国府津看板建築 020
国府津看板建築 011国府津看板建築 012 国府津看板建築 003
電線が地中化したことにより街道の趣は現在の方が増してはいるのですが、建物自体の数が昔と比べ減ってしまいました。20年前の時点で私が”失われつつある”と感じ危機感を覚え写真に収めたのですが、その時点では少し遅かった様に思います。

国府津看板建築 018
このような風景があちこちで見られるようになっていました。
再びGoogleマップを引きます。(20年前の筆頭写真地点)ストリートビューの昔の写真では2011年までしか遡れないのが残念です。
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20年ほど前、藤沢から小田原へ移り居を構えたのが国府津駅辺りでした。

当時国道一号線沿いにはびっしりと建物が並び、江戸期町家風の出桁造りと大震災後に整備された洋風建築と看板建築が混在する旧街道を思わせる魅力的な町並みが見られました。中でも看板建築(モルタル塗で洋風石造建築の外観を模した建物)は多く残り、て過去の商業文化の息吹を現代に伝える貴重なものでした。
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小田原で私が魅せられた町並みは小田原城やその公園でもなく、ましてや賑わいを見せる「巡礼街道」でもなく、地魚を謳い実はよそで仕入れた品を扱う「早川漁港エリアの海鮮」でもなく、
「栢山・二宮尊徳ゆかりの地」
「西海子小路」
「板橋地区の旧街道」
そしてこの看板建築でした。

先日板橋地区の旧内田醤油店の改装工事に関し、小田原市の施策について記事にしました。
有形文化財として国の指定を受けている建物を市が買い取り、その活用に際し耐震基準の観点から大規模な解体工事を行いました。結果文化財の指定は解除され、4億もの税金を使い、訳のわからない施設を建てようとしています。
小田原市が関わると、古き良きもの、残すべき歴史的遺産はすべてなくなってしまうのでしょう。
建物が時の流れにより朽ちるのはしょうがない。有効利用するなら全部壊して新しくする方が安上がりだ。そういう考え方、そろそろ止めませんか?
(家もそうですね。大規模リノベーションをし既存のものを残すよりも全部解体し更地にして建てなおす方が手間がかからないし安上がりになることもあります。しかし文化・文明・歴史・風土・・・そういうものは失われ、もう戻っては来ないのです。)
さて、看板建築ですが私が転居した2005年、そして20年後の今の写真を見てみましょう。
長くなるので次記事で写真ギャラリー風にしたいと思います。
この記事では一カ所。
なくなって一番”惜しい”と思った看板建築をあげたいと思います。
駅近くにあったこちらです。

国府津看板建築 011

かつての公益社書店のあったところ



Googleマップのストリートビューで過去に遡ることが出来ます。


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