Cuernavaca

神奈川県南西部 食と生活

自転車

hiratuka2
日本の、通行区分を実践しているみちのひとつです。 しかし、果たして何人の人が、この区分どうりに通行しているのでしょうか。 これは、行政が住民への啓蒙なきまま、形ばかりの体裁を整えた結果であるような気がします。
人々が混乱なく、スムースに、安全に通行すると望むなら、まずは、正しい通行方法を各自が認識するべきです。それは個人の尺度の入り込む余地のない、明確な秩序を教育することです。
fujisawa
~歩道の一部に線を引いて、自転車通行用のレーンとするのではなく、 欧州のように完全に分けて作るべきです。日本においても上のような区分が増えつつあります。
hiratuka
~歩道の整備、見直しも求められます。
上の写真の歩道部分は、歩行者の安全のためには、がちがちの柵でもつけてりゃいいだろう、なんていう感じで、やっつけたんでしょうが、こういう歩道にいったん乗り込んでしまった自転車は、対面から来た歩行者をよけるために車道に出ることもできず、一部の無茶な人種は歩行者を蹴散らしてまで、走破してしまうという暴挙に出ることになります。
自転車通行可となっているわりには、すれ違うのさえちょっと困難ではないかと思えるほどの狭さです。
こんな配慮のない道は、例を出せばきりがないくらいたくさんあります。
tigasaki
~歩道は人一人分の幅しかなく、車道は狭く大型車がすれ違うのがやっと。
こんな道にもかかわらず、幹線となっているため、通行量がやたらに多い。よくある日本の道の典型です。危ない道であるといつも思っていましたが、やはり事故がおきてしまいました。
jikotigasaki
~左側歩道を通行していた自転車が、前方の歩行者を避けようと後方確認もせずに、車道へと膨らんだ結果でしょうか。
jitennshahidari
~自転車に乗る者も、歩道ではなく、車道の左側を通行すべきです。
車道を走って車に迷惑ではないのか、そんな心配はできればしないほうがいいのです。
まずは交通弱者、歩行者に対する配慮のほうが重要です。
そして車は、自転車、歩行者に注意を傾ける。
強きものが弱きものに配慮する。これは世界的な常識です。(一部例外国あり。)
ただ、自転車が車道を走るといっても、違法駐車があまりにも多いので、なかなか難しいのですが。
車に関しては、法的な規制が適応され、違反に際しては罰則が適応されるため、問題は多いもののそれなりに流れているようですが、現在自転車に関しては、実際はほとんど野放し状態になっていることは否定できません。
法的には規制のあるもののさる筋の怠慢により、ほとんど野放し状態になっています。
jiko
車のみならず、自転車と歩行者の事故も増えています。
自転車は道路交通法上、軽車両と分類されますが、その事故に関しては、罰が課せられることもあるのです。車のように保険でカバーできないだけ、より厄介かもしれません。

法なり条例なりそれをつくった時には、施行され有効である時、理想的なかたちであるように、思い描かれていたのだと思いますが、「しかし現実は・・・」などというケースが多すぎます。
個人の事情であったり、行政側の斟酌であったり、例外がこうも多いと何が本当なのかわからなくなります。われわれ一人一人の、交通法規の認識と、それに則した道路環境の整備、これは急務ではないでしょうか。

せまく、人気のない道を歩いている。
すると右前方の交差点から、妙齢のご婦人が。
私との距離およそ4メートル。私は道を譲ろうと斜め左に方向を変える。
しかし、彼女も一瞬遅れて私と同じ方向に。
再び私は道を譲ろうと、今度は斜め右へと方向転換。
だが、ああ何ということだろう。
またしても彼女は私の進路をふさぐ。
私にはわかっている。
彼女も道を譲ろうと四苦八苦し、 それがかなわず気まずく、そして心を痛めている。
互いに苦笑い。なんかうまくいかない・・・
一体現実を把握している者はいるだろうか。
正しい道の歩き方はあるのだろうか。
kurumahahidari
~人は右、車は左。
幼少の頃より学校などでも盲目的にそう唱えさせられていたせいか、道の右側を歩行する人が多いようです。
はたして右側通行は日本の交通事情に適しているのでしょうか?
hidarigawatuukou
~駅に至る陸橋で撮影したものです。
関東地方では、公共交通機関の歩道等は、左側通行を推奨しているようです。
となると、一般の道路は右側、駅の通路は左側通行では、人の流れはスムースではな いでしょう。人々も混乱してしまいます。
実際には、歩行者は道のどちら側を歩こうが、車道を歩こうが、信号無視をしようが、法により罰せられることはないのですが、周りの状況に気を配らない人が多くいるのが現状です。
道の真ん中で立ち話をしていたり、駅の階段に腰を下ろしていたりするのは論外ですが、多くの人が、おもいおもいに何の意思もなく歩いているものだから、こちらはそれを避けようと右へいったり、左へいったり。いつしか’ジグザク’に歩いている自分に気づくこともあります。

もしも歩行者が右側通行をしていたら。
migi
~上の図は歩行者専用の歩道のない道の一例です。
ここでよく起こる事故。
前方の交差点を右側通行により曲がってきた歩行者(あるいは自転車)が、 自転車との出会い頭の衝突に見舞われるケースです。
車はもちろん左側通行ですが、実は自転車も道路交通法によれば、それ自体「軽車両」と言う区分になっており、車道の一番左側を通行すべし、と明文化されています。
歩道における通行に関しては通行可能な場所が、”自転車通行可”という標識で示されています。
(かつての劣悪な車道の状態を考え、自転車が車に混じり通行するのは危険だということで、当面の措置として比較的広い歩道においては通行を許可することになったそうです。)
法律によりその通行帯が明文化されていないのは、ひとり歩行者のみと言えます。

アメリカ合衆国やヨーロッパの国々で、はからずも徒歩での移動を強いられる時があります。
そのさい、歩道なりを歩いていると、どうも、スムースに歩けない自分を発見する時があります。
私自身は、しょっちゅう自転車に乗っていることもあり、徒歩の際も、左側を通行するように自然と体が慣らされているようなのですが、それと同じように、かの地の人々も右側通行に慣れてしまっているようなのです。
つまり、車や自転車 が走行するのと同じ 通行方向をとるのがどうも自然らしい、という感覚が根付いているようです。

そこで、提言させてください。
車も、自転車も、人も左を通行する。これが日本の正しい歩き方であると。

”何も歩き方までとやかく言われたくない。そんなのは、個性の尊重に対する侵害以外のなにものでもない”そうおっしゃりたい方もおられるでしょう。
(何か教育の現場で、盛んに戦わされた議論を思い起こします。いまや’ゆとり’、’個性’を重視した教育の実践が、規律や道徳の消失を生み、犯罪が多発しているのは自明のことなのですが)
まあ個性を発揮する場所はほかにいくらでもありますから。
ただでさえ、外見は個性的に見えても、中身は画一的な考え方をする人たちばかりなこの国なのですから。
つづく

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