いつか、テレビのバラエティー番組にて、おそらく石原某が発言していた言葉。
「皆、梅雨はジメジメして、暗くっていやだと言っているけど、梅雨がなかったら一年の半分は猛暑なんだぜ。5月から10月まで30℃を超える日が延々と続く。」この言葉に妙に納得してしまいました。
昨今夏の猛暑、秋の残暑が厳しい分、この時期の穏やかな気温は(湿度は高いけれど)貴重なものなのかも知れません。なにより雨というのは仕事をさぼる理由付けになります。晴耕雨読と自分に言い聞かせ活動しているフリをすることが出来ます。読は時に映画鑑賞となり、それにも飽いてしまうと疲れを癒やすとなどという名目で温泉に行ったりなどの逃げも用意されています。作業が進まない、やる気になれない、そういう自身の怠惰を慰める方便になっているのです。
昨今夏の猛暑、秋の残暑が厳しい分、この時期の穏やかな気温は(湿度は高いけれど)貴重なものなのかも知れません。なにより雨というのは仕事をさぼる理由付けになります。晴耕雨読と自分に言い聞かせ活動しているフリをすることが出来ます。読は時に映画鑑賞となり、それにも飽いてしまうと疲れを癒やすとなどという名目で温泉に行ったりなどの逃げも用意されています。作業が進まない、やる気になれない、そういう自身の怠惰を慰める方便になっているのです。
実際家づくりにおいて、現在行っている作業で言うならば
~ケイカル板を切断するに、家の内部で丸鋸を使って切ることは恐ろしいことです。粉塵は半端なく、それは部屋の隅々に達しいつまでも残ることになります。
~湿度が高いのでペンキ塗りには適していない。ボンドを使った床施工なども晴れた日にやることが推奨されています。
~ケイカル板を切断するに、家の内部で丸鋸を使って切ることは恐ろしいことです。粉塵は半端なく、それは部屋の隅々に達しいつまでも残ることになります。
~湿度が高いのでペンキ塗りには適していない。ボンドを使った床施工なども晴れた日にやることが推奨されています。
内装のプロは天候関係なくやっているではないかという指摘はもっともなものです。しかし素人は条件の悪いときに作業をするのは避けた方が賢明です。何より雨天であると気持ちが沈んでしまい、何事に対しても意欲が湧いてこないのです。
そんな時雨滴に濡れるアジサイを見ていると心穏やかになることが出来ます。
昔の人はあじさいに美を見いださなかったそうです、時と共に色を変えるその花に、ある種優柔不断とも言える負の感情を抱いていたらしいのです。
個人的に紫陽花には共感をおぼえるのです。秋から冬には、茎だけのように貧相で雑草のごとき様相を呈しているにもかかわらず、この梅雨の時期だけに我が世の春と言わんばかり咲き誇り、その花は時と共に色を変え、人を飽きさせることがありません。


本年アジサイの開花が遅いようです。我が庭にもやっと花が咲き始めました。
写真左は昨年6月3日の様子。右は本年6月8日のものです。
紫陽花の左奥にクチナシが咲いています。香りは強いのですがその盛期は短く儚いものです。(渡哲也的哀愁がありますw)
西湘地区において「あじさい祭り」が催されるところがあります。
開成あじさい祭り
もう20年程前のこと。初めて開成町を訪れた時に自転車で方々を回り魅了されたものです。
その当時から定点観測を続けている場所があります。
しかし本年、何故か花が妙に少ないのです。(写真右、2025年6月13日)


ただ単に花が咲くのが遅いと言うだけなら良いのですけど、、、

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